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『こゝろ』(こころ)夏目漱石

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(2007/07)
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太宰治の人間失格を読んだ直後だったこともあり、ずいぶん似た雰囲気を感じた。
この2作が特に売れているらしいから、普通は公にされない人間の姿を描いた作品に、
人は心を打たれるのだろう。

話は実に単純である。
人間を信用できなかった自分の心を解かしてくれた女性への恋心から、
Kを信用できなくなっていく。

「私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。
だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
これは世間を憚(はば)かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。」
どうして名前が出てこないのであろうか。
人は得てして名誉や立場より人を判断したがるが、
本当に優れた人は名誉や立場を気にしない。
人生を学んだ人ほど、その風格を漂わせる。

人は信用できるのか。
人と人の触れ合いは何のためにあるのか。
人とふれあうことは自分と向き合うことである。
人が信用できないとは、自分にNOと言うことである。
YESと言う人とNOと言う人はどの時代にも両方いる。
どちらかが多くなることはあっても、片方が0になることはない。
この醜い人間の姿を見て、信用する道を模索する必要があるのではないか。

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『人間失格』太宰治

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前々から読みたいと思いながらも忙しさにかまけて読めなかった。
まんがなら立ち読みでも読める。
ふと思い立って本屋で立ち読みをしてきた。
あらすじはWikipediaにでもまかせることにして、思うにまかせて感想を書いてみる。

最初に出て来る「人間が分からない」という感覚。
こういう感覚は昔の人も持っていたのだと改めて感じる。
今はブログや2chで、そういう自分はダメ人間であるといった風潮で語られるが、
なんのことはない、昔からあった。
そしてそれを題材にした本が売れたりしている。
昔はそれを本という題材を通し客観的に扱われるが、
今はそれが自分の感情という主観的なものとして扱われる。
ここには大きな隔たりがあるように感じる。

「拒否されることが怖い」という感覚。
実に自分が生きることができない姿を現している。
しかし、これは逆に言えば、「自分というものがあるからこそ」ではないだろうか。
自分がなければ拒否されることもない。
分からないなりに自分で考え生きようとしている姿がある。
昔の大ヒット小説は今の時代の教訓話になるのか。
今のマンガも未来の世界では「昔はこんなふうに頑張ってたんだね。」と言われるのかも知れない。
視点が変わると味わいも変わる。

「孤独と女」は相性がよい。
この「孤独の雰囲気」を女は鋭くかぎ分ける。
ムーミンよりスナフキンがよいと思っている程度ではだめで、
スナフキンとして孤独を受容できる器の大きさが女を引き寄せるのだろう。

「世間とは個人である。」の言葉は今更ながら感嘆させられる。
人は自分の言葉で語らない。
責任が持てず、説得力が無く、いつでも逃げれるようにだ。
個人の集まりが世間だと思いがちだが、
実際には自分が何かを主張すればそれを受け取るのは個人である。
今の世の中、ネット社会で個人が世間としての発言力を持つようになった。
「多数の意見は正しい」という思いもある。
世間の意見を動かすのは難しいとは、個人の意見を動かすのが難しいと言うことであり、
世間の共感を得るのが難しいとは、個人の共感を得るのが難しいと言うことである。
逆に言えば、世間の心をうつものは、個人の心をうつものである。

いつの時代も古典が重宝されるのは、大人の意見は正しいという思いや、
違う視点を求めてなど、様々な要因が絡み合っていることを感じる。
人間失格に描かれている「信用に裏切られた思い」は、
今日「信用できないから信じない」という思いに変わっている。
すでに共感ではなく、人生観の後押しにしかならない。
未来を描いた本ではなく、過去を描いた本である。
その意味で大事であり、その意味で力がない。
ちょうど思い出には甘さこそあれ、明日を生きる力がないように。

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